#120 教養とは、必要がないものを選別すること。
- 3月3日
- 読了時間: 3分
1|たくさん持っていた頃のわたし

以前のわたしは、
できるだけ多くのものを持っていたい人でした。
知識も、人脈も、チャンスも、情報も。
学んでいる感覚が好きでしたし、
常に前に進んでいる自分でいたかったのだと思います。
けれど、気づいたら頭の中はいつも忙しくて、
どこか落ち着かない。
ブランドを運営し、
PRもオンラインコミュニティも同時に考えていると、
あれも大事、これも大事、と
全部が重要に思えてしまう瞬間があります。
でも、あるとき気づいたんです。
増やしているはずなのに、
自分の輪郭が少しずつぼやけていることに。
そのとき初めて、
「足すこと」よりも
「削ぐこと」のほうが難しいのだと感じました。
教養とは、たくさん知っていることではなく、
今の自分に必要がないものを、
静かに選別できることなのかもしれない、と。
2|削ぐと、感性が戻ってくる
わたしは意識的に、
いくつかのものを減らしてみました。

①必要以上に情報を追わないこと。
②すべての流行に反応しないこと。
③「やったほうがいい」という理由だけの仕事を受けないこと。
最初は少し怖かったです。
機会を逃すのではないか、と。
でも、不思議なことに、削いだ分だけ、
感性が戻ってきました。
花を選ぶときの直感。
洋服をデザインするときの確信。
言葉を書くときの迷いのなさ。
余白ができると、
自分の本音が聞こえるようになります。
(そして何より生きやすくなった。笑
7senseで大切にしている“感性”も、
実は増やすことより、
減らすことから始まるのではないかと思っています。
情報で埋め尽くされた状態では、
本当に好きなものに気づけません。
教養とは、余白をつくる技術なのだと、
わたしは実感しています。
3|選ばない勇気が、わたしをつくる
選ぶということは、
同時に選ばないと決めることです。

すべてを手に入れようとしないこと。
すべての人に理解されようとしないこと。
すべての期待に応えようとしないこと。
これは鉄則。
以前のわたしは、
できるだけ多くの人に届くようにと考えていました。
けれど今は、
「本当に届けたい人にだけ届けばいい」
と思えるようになった途端に、肩の荷が降りたようにらくになった気がする。。
それは諦めではなく、
自分の輪郭を守るための選択です。
必要のないものを選別できるということは、
自分が何者で、
何を大切にしているのかを理解しているということ。
教養とは、知識の量ではなく、
自分の軸を澄ませていくプロセスなのだと思います。
削ぎ落としたあとに残るもの。
それが、きっとあなたの“センス”です。
そしてそのセンスは、
静かに、自分を信じることから育っていくのだと思います。
まとめ
教養とは、何かを増やし続けることではなく、
自分にとって必要のないものを
静かに選別していくことなのだと、わたしは思います。
情報も、流行も、評価も、
すべてを抱え込もうとすると、
自分の輪郭は見えにくくなります。
けれど、勇気をもって削いでいくと、
少しずつ視界が澄んでいきます。
何が好きなのか。
何が美しいと感じるのか。
どんな生き方をしたいのか。
それが、はっきりしてきます。
選ばないことは、失うことではありません。
自分を守ることです。
そしてその積み重ねが、
その人の佇まいになり、
言葉になり、センスになります。
教養とは、
世界を取り込む力ではなく、
自分を澄ませていく力。
削ぎ落としたその先に残るものこそが、
きっと、あなたそのものなのだと思います。
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