#4 「センス」は、越境する
- 5月21日
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「センスがいいね」
と言われるとき、それは果たして、何を意味しているのだろうか。
装い、話し方、もの選び、あるいは人生の選択にまで、それは滲む。
けれども、表面的な洗練やトレンドに敏感なことだけでは、きっとないと思うのです。
センスとは、その人の“内側から生まれる美意識”であり、
それがどこへ向かって開かれているかの姿勢そのものだと思う。
私は、日本で生まれ育ちました。
四季を繊細に感じとる感性、
目に見えないものを尊ぶ文化、
曖昧さの中に余白を見出す美学。
それらが育んだ日本人としての“センス”は、今も深く私の中に根付いている。
けれど、そんな日本の美しさを本当の意味で理解したのは、海外に出てから。
初めてコンフォートゾーンを抜け、自分の常識が通用しない土地に立ったとき。
世界の価値観の多様さに圧倒され、自分という存在が小さく見えたとき。
その“揺さぶられる体験”こそが、私のセンスを耕してくれた。
海外では、自分の意見を語らなければ存在できない。
「あなたはどう思うの?」と問われ続ける中で、
日本では曖昧にしていた“自分の軸”と向き合わざるを得なかった。
そして、はじめて気づいた。それは、
センスとは、選び取る力なのだと。
目の前にある無数の情報や価値観の中から、
「私はこれを美しいと思う」と明確に選び取ること。
それは、育った国の文化に敬意を払いながらも、
あえてそこを一歩抜ける勇気を持つこととよく似ている。
今、日本という国の奥ゆかしさや調和の美を、
以前よりもっと深く愛せるようになった。
それは、外に出て、他の価値観に触れ、揺さぶられた経験があるからこそ。
視野が広がれば、足元の風景も変わる。
“センスを磨く”とは、単にトレンドを追うことではない。
むしろ、コンフォートゾーンを抜けることでしか得られない、自分自身との対話なのだ。
外の世界に目を向けること。そして、自国の美しさを再発見すること。
その両方を行き来できる人にこそ、深いセンスが宿るのだと思う。
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